珍しく早起きしています。
5時半頃起きて、
ラジオ関西(当時神戸市須磨区にあった放送局で、ここの建物も全壊した)を付けて、
テレビは音声ナシで…
いままで、この日のこの時間には寝ていましたが、10年という区切りを向かえ、
なんか起きずにはいられませんでした。
当時はなかった明石大橋に向かって(震源地付近)、5時46分、黙祷しました。
いつもは付いていない大橋のライティングも付いていました。
白一色のライティングでした。
あの時とは違って、雨が降っています。
でも、あの時と同じように、まだ街は暗闇の中です。
あの時間、今と同じ「海の家」で、私は大きな揺れに襲われました。
マンションのエキスパンションが上から下まで裂け、ひび割れがあちこちに出来ました。
(当初黄色の紙が張られましたが、最終的に一部損壊の判断でした)
当時勤めていた会社は神戸市兵庫区にありました。
会社には4日ほど出れず、その後は建設関係がお客さんだったこともあって、休みなしの状態でした。
電車が動いていないため、中古自転車を買って1時間半かけて会社へ通いました。
身内で亡くなった人はいませんでしたが、神戸の惨状はいやというほど見ました。
不思議と震災前の記憶ってあまりないんですよね。
震災の影響で自分の人生に1995年1月17日が大きな断層になって、ずれているんです。
震災前と震災後という区切りで、記憶をたどっています。
当時主宰をしていた創作グループ(旅行と鉄道関連)は、その時活動を休止しました。
その後、セドリックを手に入れ、旧い車の世界に入りました。
気が付いたら、当時思った10年後とは全然違う10年後になっていましたけど。
自分としてはこれで良かったかな。
あまりもいろんなことがあった、早い10年間でした。
振り返れば、この10年、頑張りすぎていたんでしょうね。
当時キャッチフレーズになっていた「がんばろう神戸」。
頑張りすぎて、何か大切なものを見失ったかもしれません。
会社も替わったし、結婚も離婚もしました。
今、ちょうど職なし、一人暮らし。
ちょうど再出発にはいい機会かもしれません。
これから、頑張りすぎないように、ボチボチいくことにします。
また、ええこともあります。生きてるだけでありがたいことです。
活断層の方向が、もし90度違っていたら、海の家は直撃されていましたから。
長々書きました。
昨年多発した自然災害もそうですが、本当に恐ろしいことです。
亡くなられた方には、深い哀悼の意をあらわしたいと思います。
これから、神戸にとって、皆さんにとって、少しでもいいことが起こりますように。
ずっと隣町に住み続けてますが、心より応援しています。
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